ラテン語版『聖ブレンダンの航海』冒頭部と各国語訳との比較

 以下の試訳はラテン語版『聖ブレンダンの航海』 Navigatio Sancti Brendani Abbatis と、ラテン語版を下敷きとしたヨーロッパ各国語訳の冒頭部分とをそれぞれ比較参照するために作成しました。

出典 : The Voyage of St Brendan, edited by W.R.J. Barron, Glyn S. Burgess, University of Exeter Press, Exeter, 2002.
Copyright © W.R.J. Barron, Glyn S. Burgess, University of Exeter Press, Exeter, 2002.

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<試訳>

ラテン語版『航海』 Navigatio 第一章

聖バーリンドの話 聖ブレンダンはアルトリー一族のフィンルグの息子として、オーガナハト・ロッカ・レイン配下のムウの人の地にお生まれになった。(1) 偉大な禁欲の人で、数々の奇蹟と、三千人近い修道士の父としてその名はあまねく知れ渡っていた。
 その聖ブレンダンが、「ブレンダンの奇蹟の野、クローンフェルタ」(2)と呼ばれる地で霊的戦いをつづけていたある日の晩のこと。アイルランド教会の修道院長のひとりでニアルの子孫バーリンド(3) と名乗る長老がやってきた。聖ブレンダンが矢継ぎ早に質問を浴びせると、長老は涙を流し、床にひれ伏して長いこと祈りつづけた。聖ブレンダンは長老を起こすと、抱擁して呼びかけた。
 「院長さまはわたくしどもを励ますためにここを訪ねられたはず。なぜ悲しまなくてはならないのか? どうかわが兄弟たちに喜びをあたえ、神の御言葉をお示しくだされ。院長さまが見たという大洋のさまざまな驚異をどうかわれらにもお伝えくださり、われらの心を満たしてくだされ」
 聖ブレンダンがことばをおさめると、聖バーリンドはとある島について語りはじめた。
 「わが息子、キリストの貧しき僕の給仕だったマーノック(4) が隠遁生活をはじめるべくわがもとを去り、「スリーブリオグ(石の山)」(5)の沖に浮かぶ、『歓喜の島』なる地にたどり着きました。その後長い歳月が過ぎ、マーノックが多くの修道士を抱える共同体の長となり、神がマーノックを通じてさまざまな奇蹟を示されていると伝え聞いたわたしは舟を出し、その島を訪ねたのです。航海すること三日、やっと島に近づいたとき、息子はわたしを出迎えるため、弟子を連れて汀へと急いでやって来ました。わたしが来島することは主から示されていたのです。近づくにつれ、まるで蜂の大群がいっせいに飛んでくるように、それぞれの石室から修道士が汀へ駆け寄ってくるではありませんか。彼らは島中に散らばって庵を編んでいますが、みな信仰と希望と愛のもとひとつになって暮らしていました。食事と定時の祈りには一同がそろいます。食べ物は果実、木の実、根菜、青菜だけです。終課をすませると、めいめい自分の庵へ帰って休み、雄鶏が時をむすぶか鐘が打ち鳴らされるまで庵にとどまるのです。わたしは息子に連れられて一晩、島のぐるりをめぐり、明くる日、西の海に面した汀へとやってきました。そこには一艘の舟があり、息子はわたしにこう言うのです。
 『父上さま、ともにこの舟に乗って西へ向かい、"聖人たちの約束の地" と呼ばれる島へゆきましょう。かの島はこの世の終わりのとき、主がわれらとその後継者に賜ってくださる地です』
 そこでわたしはマーノックとともに船出して海へ乗り出しましたが、ほどなくして深い霧にすっぽりと包まれてしまいました。その霧の濃いことといったらなく、舳先も艫もほとんど見えません。そうこうして一時間ほどたったころ、大いなる光が四方を照らし、目の前に広く、緑と果実に満ちた土地が現れたのです。舟が着くとさっそく下船して、ふたりでこの島の周囲をまわってみました。歩くこと十五日、陸地は尽きることなくつづきます。草という草すべてに花が咲き、木という木すべてに果実が実っていました。かの地の石はどれも宝石なのです。十五日目、わたしたちは東から西へ流れる大河のほとりに出ました。これまで目にしてきたものすべてに思いをめぐらせながら、どうすればよいものかと考えあぐねていたのです。
 心は川を渡るほうへ傾きましたが、主のお告げを待つことにしました。ふたりで話し合っているまさにそのとき、突然、まばゆい光に包まれた若者が目の前に現れ、すぐにわたしたちの名を呼んで抱擁すると、こう言うのです。
 『善き兄弟、よくぞここまでたどり着かれた。主はそなたたちにこの地を示されたのだ。この地は選ばれし聖人に授けられる。島は、目の前を流れるこの河でふたつに分かたれている。だが河を渡って対岸へ行ってはならぬ。故国へ帰られよ』
 青年がそう言い終えると、わたしはすぐに尋ねました。あなたはどこから来たのですか? お名前はなんと申されるのですか? するとこうこたえたのです。
 『なぜそのようなことを訊く? なぜこの島のことを訊かぬのか? この島は天地創世以来、いま見たまいしごとく存在しているのだ。そなたたちは飢えや渇きを感ずることなく、また衣なくしては生きてはゆけまい。にもかかわらず、一年に値する長きあいだ、この地にとどまっているではないか! 食べ、かつ飲むこともせずに! 眠気に襲われることも夜の帳が下りることもなかっただろう! この地はつねに昼なのだ。暗黒に包まれることはけっしてない。それはわれらが主イエス・キリストがこの島を照らす光だからである』
 そこですぐに引き返しました。青年も舟のある汀まで来てくれましたが、舟に乗りこむと、たちまち青年の姿は掻き消されてしまいました。そして来たときとおなじ暗がりを抜けて、『歓喜の島』にもどってきました。島の修道士たちがわたしたちを認めると、欣喜雀躍して出迎えてくれ、こうこぼすのです。院長さまがた、なぜわたしども羊を森のただなかに残したままさ迷わせるのです? われらの院長さまがわたしどもを残し、いずことも知れぬ地へたびたび出かけることは知っております。院長さまはかの地で一週間過ごされることもあれば二週間、ひと月のこともあります。
 これを聞くと、わたしは彼らにこうこたえて慰めました。
 『兄弟たち、善きことのみ考えよ。あなたたちはまぎれもなく楽園の入り口に住んでいるのです。この島の沖に "聖人たちの約束の地" と呼ばれる広大な島があって、そこには夜は存在せずとこしえに昼なのです。あなたがたの羊飼いたるマーノック師はかの地へ行かれるのです。そこは神の遣わしたひとりの天使が守っています。衣から漂うかぐわしき芳香から、わたしたちがその楽園に行っていたことがわからないのですか?』
 すると修道士らはこう言うのです。
 『院長さま、大海原に浮かぶかの地へ行ってらしたことはわかっております。ですがその神の楽園なる地がいずこにあるのか、わたしどもにはわかりません。われらの院長さまのお召ものからまことかぐわしき匂いが立ちのぼることはたびたびありました』
 わたしが息子とともにその島に留まった二週間というもの、食べ物も飲み物もまったく口にすることはありませんでした。それでもわたしどもの身体はすこぶる満たされ、傍目にもあらたな葡萄酒に満ち満ちているように見えたことでしょう。そして四十日後、わたしは息子とその弟子たちの祝福を受けて、お供とともに島を後にしてもどってきたしだいです。明日、自分の庵に帰ります」
 これを聞いた聖ブレンダンと修道士らはいっせいに床にひれ伏し、神の栄光をたたえた。
 「主の道はことごとく正しく、御業は聖なるかな。(6) 主は僕にかくも偉大な神秘をお示しになったからである。僕に賜りしものをもって主を賛美せよ。かくも霊的なしるしでわれらの魂を満たしてくださったからである」
 一同唱和すると、聖ブレンダンが言った。
 「では一同、腹ごしらえするとしよう。新しい掟に従って足を洗おう(7)」
 明くる日の朝、聖バーリンドは修道士らの祝福を受けると、自分の庵へと帰っていった。

(1). カール・セルマー校訂版(p.3)の冒頭部原文は'Sanctus Brendanus, filius Finlocha, nepotis Althi de genere Eogeni, stagnili regione Mumenensium ortus fuit'とあるが正しくは'Sanctus Brendanus, filius Finlocha, nepo(ti)s Alti de genere Eogeni(s), Stagni Len Mumenensium ortus fuit'。なおラテン語版冒頭部のアルトリー (・カイル) 氏族はオーガナハト王領には属さないので、多くのアイルランド人研究者はラテン語版写本の系譜がはじまった当初からなんらかの欠落が生じた可能性を指摘している(⇒ 参考文献)。現在のアイルランド西海岸ケリー州に拠点を置いていたアルトリー一族は5,6 世紀のオガム石にも見られる古い氏族名で、名前の由来は諸説あるが、古アイルランドゲール語で「荒々しい土地」からとも。「ムウの地」は現在のアイルランド南西部マンスター地方 (古アイルランドゲール語ではMumu[Mumha]、マンスターMunsterの呼び名が定着したのはヴァイキング入植後からで、Mumha + s + アイルランドゲール語の「土地」'tir') から。

(2). 「奇蹟の野 saltus virtutis」はアイルランドゲール語のCluain Fertaのラテン語訳で、現在のゴールウェイ州クロンファートClonfert。修道士の数三千人は、当時の記録から見ても妥当な数字。

(3). 聖バーリンドは現在のアイルランド中部オファリー州エグリッシュ郡にある教区ドラムカレンの修道院長とも伝えられる。セルマー校訂版p.101はバーリンドを「オ・ニール(王)領地の修道院長」としているが、Neil(Niall)は「9人の人質」のほうのニール(ニアル)。カーニーによれば、バーリンドはニアルの4代目の子孫で、ドラムカレンのほかにドニゴール地方にも彼の名を冠した地名(Kilbarron='Church of Barrind')が残っていることから、ドニゴールとの関係も示唆している。

(4). 聖マーノックは聖エルナンのことで、バーリンドとは近縁にあたる。なおマーノックとは古アイルランドゲール語による愛称表現。Mernoc (Mo-Wrn-oc)=my little Ernan. 聖マーノックはドニゴールの人で、この点においてもラテン語版『航海』の記述は事実と一致する。

(5). 「石の山」mons lapidis はアイルランドゲール語Sliab Liagのラテン語訳で、現在のドニゴール州スリーヴ・リーグSlieve leagueにあたる。カーニーは「歓喜の島」をカイン島Inis Cain Dega、現在のキーン島 Inishkeenと推定するが、この説はあまり支持されていない。

(6). 詩編145:17。

(7). 「ヨハネによる福音書」13:34。

*ラテン語版『航海』第一章邦訳は管理人によるオメイラ教授その他英訳からの重訳がベースですが、英訳で現代アイルランドの地名に置き換えられている箇所 (「奇蹟の野」、「石の山」) などは、太古隆治先生の邦訳からいくつか訳語を拝借した点をまずお断りしておきます。なおこの点について、訳者太古先生より使用許諾を得ています。⇒ 著作権について

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ブノワ編
アングロ・ノルマン語版『航海』冒頭部
Le Voyage de Saint Brendan par Benedeit
(L. 1-106)

 アデライザ王妃殿下、
 殿下をつうじて天の掟がひろまり地の掟が強められ、またヘンリー王の高き武勇と王妃殿下に与る助言により、このおおいなる戦にいずれ終止符が打たれましょうと、殿下の特使である修道士ブノワが幾度となくご挨拶を送ります。かかる特使は殿下の命ぜられたとおり、己が能力を振り絞って、気高き修道院長聖ブレンダンの物語を俗語にいたしました。(1) ですがどうぞ心に留めてください、この者が嘲笑されることなきように。なぜなら殿下の忠臣は、自分の知ることを語り、できることをなしたからです。かような僕を責めるべきではありません。言わずもがなですが、あたら能力がありながらそれを使い惜しむ者こそ苦しむべきなのです。

 この神の聖者はアイルランドの王家に生まれた。(2) 王族の一員ゆえ、気高き理想に身を捧げた。かの聖典の一節もよく心得ていた。「現し世の喜びから逃れた者は、天の神とともに、これ以上求められないほどの喜びを得る」
 それゆえこの王位継承者は偽りの誉れを捨て真の誉れを求めた。卑しく流謫に身をやつすべく、修道服をまとい戒律生活に入った。のちに、意に反して修道院長に推された。その徳があまりにすばらしかったため多くの者が院長の許に集い、衷心から修道戒律に従った。聖ブレンダンが建てた各地の修道院には三千人の修道士がいて、皆が修道院長のあふれる徳を範として生活していた。(3)

 おおいなる賢者にしてあやまたない判断を下し、まったき道を歩む修道院長聖ブレンダンは、あるとき、神に一心に祈った。自分と血族の者すべて、生きとし者も死せる者もみな友であるがゆえに、彼らのために。だが心の内ではあるひとつの切なる願いを抱いていた。そこで繰り返し神に祈りはじめた。あの楽園を見せたまえ、我らの始祖アダムを住まわせ、継承権がありながら奪ってしまわれたあの土地を。聖典に書かれてあるごとく、聖ブレンダンもかの地には真の栄光が満ち満ちていると信じてはいたが、それでも本来住まうべき地をこの目で確かめたかった。だがアダムは罪を犯したため、聖ブレンダンもわれわれも追放されている。聖ブレンダンはひたすら神に祈りつづけた。どうかかの地をお示しください、現し身で見たいのです、善人がいかなる場所に憩うのか、そして悪人どもがいかなる場所をあてがわれるのか、彼らが受ける報いも見たいのです。

 またこうも願った。尊大さゆえいついかなるときも神とその掟に逆らう不信心者の受ける地獄の苦しみをも見せたまえ、かような者は心に愛がないか、信仰がないのですから。聖ブレンダンは神の支えにより願いが成就するよう祈ると、さっそくバーリンドと名乗る、聖なる神の僕をたずねて告白することにした。この神に忠実な隠者は三百人の修道士とともに森に暮らしている。支えを得たいと願うのなら、わたしがこれから話すことをよく聞くことです。隠者バーリンドは聖ブレンダンに、霊感あふれる挿話とまことふさわしい金言とを織り交ぜて、名づけ子マーノック(4) を訪ねたときに海と陸で目にした光景をことこまかに語り聞かせはじめた。マーノックはもとわしの修道院の兄弟だったがどこか隠遁の地をしきりと求めておりました。そこで代父にして院長だったわたしのすすめに従い、息子は船出しました。その甲斐あって行き着いた先は、神を信じる者しか立ち入ることのできない島でした。かの島は絶海のただなかにあり、風が吹き荒れることもなく、息子は楽園島で咲き乱れる花の芳香を糧として暮らしています。息子のたどり着いた島は楽園島と指呼の間なのです。そこでわが息子は天使の歌に耳を傾けながら、それこそ楽園のごとき暮らしを送っているのです。バーリンドはマーノックを訪問し、いま聖ブレンダンに語り聞かせた光景を目の当たりにした。隠者がかの島で目にしたものを聞くと、聖ブレンダンは隠者の教えをさらに請い、自分もかの地への船旅を急がねばと決意した。

(1). 「俗語にいたしました」の原文は'En letre mis e en romanz'。letreはラテン語で書かれた物語とも解釈可能で、その場合、作者はラテン語と俗語のふたつの版を用意したことが考えられる。

(2). じっさいのブレンダンは王族出身ではない。『聖ブレンダン伝(聖ブレンダンの生涯)』  Vita Sancti Brendaniによればマンスター地方のアルトリー・カイルという豪族出身の父フィンルグと母カラとのあいだに生まれたとされる。

(3). 「マタイによる福音書」6 : 19-20.

(4). ラテン語版『航海』ではマーノックはバーリンドの名づけ子ではなく息子となっている。

底本 : MS A, London, British Library, Cotton Vespasian B X (I) 『ブノワ編 アングロ・ノルマン版聖ブレンダンの航海』は現在までに6つの写本が発見され、うちふたつは断片に過ぎない。底本としたのは大英図書館所蔵の写本で、14世紀前半ごろの作と伝えられる。I. ショート、B. メリリーズ校訂版など、たいていの版はこの大英図書館所蔵写本を底本としている。原典の書かれた時期は12世紀前半と考えられてはいるが、このロンドン写本Aは原典にまでさかのぼると推定できうるほど語法・単語などを忠実に保持していることから、もっとも信頼すべき写本とみなされている。
 この写本は一葉に44行からなる段落がふたつ組まれた、総数1,834行からなるアングロ・ノルマン語の韻文作品である。この写本の初版は1875年にドイツで刊行され、最初の校訂版出版が1878年、最新の校訂版は前出のショート、メリリーズらによるもので1979年にマンチェスター大学出版局から刊行されている。作者Benedeitは現代英語ではBenedict、現代フランス語ではBenoitとなることからして、おそらく覇権争いの最中だったノルマンディー公国と英国本土とを行き来していたベネディクト会修道士あるいは宣教師であったと推定されるが、それがだれなのかはいまのところ特定できてはいない。候補としてはつぎの三人があげられている。
1). ウィリアム征服王の王室礼拝堂司祭で、のちにルーアン大聖堂の助祭長となったベネディクト会修道士。
2). グロスターの聖ペトロ大修道院のベネディクト会修道士。
3). カンタベリー大司教聖アンセルム。

成立年代 : この韻文作品の成立については、やはり冒頭の献辞に登場する王妃の名から推測するほかないが、現存する完全な4つの写本のうち一編はヘンリー一世の最初の妃マティルダになっており、いずれが正確なのかについては決め手がない。アデライザはマティルダの死後、ヘンリー王の二番目の妃となった。前妻マティルダはスコットランド王家出身で、カンタベリー大司教ランフランク、その後継者でこの作品の作者ではないかとも推測されるアンセルムとも交流があった。そのためこの作品は一度マティルダに献呈され、さらにアデライザ妃に献呈しなおされた可能性もある。作品の献呈時期についてはマティルダに献呈されたとすれば1101-1106年ごろ、アデライザに献呈されたとすれば1121年ごろと思われる。

中期オランダ語版『航海』冒頭部 (De reis van Sint Brandaan, L.1-136)

 むかしむかし、神のさまざまなしるしを見たひとりのアイルランド人の物語をここに語らせてください。いまから語る物語を読者の皆さんが信じるのならば、まごうかたなき神の奇蹟とはなにかを知ることでしょう。異邦人バラムの牝驢馬の前に炎の剣を差し出して立ちはだかり、驢馬の口を開かせた聖霊よ、どうかわたしの道しるべとなりたまえ。(1) 驢馬の口を開かれ、ことばを話させたように、どうかいま、わが口もとを開きたまえ。

 これなる男はまぎれもなく聖人であった。名はブレンダンと申す。ブレンダンはアイルランドで三千人余の修道院の頭として、心から神に仕えていた。さてこのブレンダン修道院長があるとき古文書をひもといていると、その中に神が創造された被造物にはさまざまなしるしが現れていると書かれた箇所を見つけた。それによれば地上には多くの驚異が満ち溢れ、その上にはふたつの楽園があり、海には巨大な島が存在するという。またこの地上の下にはもうひとつの世界があり、こちらが昼のときはかの地は夜だという。また三つの天国があり、森を生やした魚もいるという。こんなものとても信じられない。さらに読むと毎週末、神はユダに哀れみをしめされ、休息を与えるとも書かれていた。もうたくさんだ、わたしはこの眼で確かめたものしか信じないのだ。ブレンダン院長はこの書物の作者を呪うと、怒ってこの書を火に投げ入れた。(2) おかげでブレンダン院長はえらい代償を払わされることになる。院長が火のかたわらに立ち、書物がめらめらと燃えるさまを見ていると、そこへ神の御使いがひとり現れ、院長にこう呼ばわったのだ。
 「おおわが友ブレンダンよ、なんと禍々しきことをされたのか! 汝の怒りのために真理はすべて灰と消えてしまったではないか! 燃やしてしまったのならば致し方ない。まもなく汝はなにが真実でなにが偽りか、その眼で確かめることになろう。主イエス・キリストは汝に九年間、海原を漂流するように命じられた。汝はその航海で、なにが真実でなにが偽りか、見いだすことになろう」
 かくしてブレンダン修道院長は、書物を燃やし、書物を呪った罪を償うべく、神の命じた地へ旅立ち、おおいに辛酸を舐めることになる。

 神のお告げにたいそう心乱された聖なるブレンダン院長は、なにが起ころうともどうかわが魂を守りたまえと聖母マリアの名において主キリストに祈った。祈りを捧げると、院長はまっすぐ海岸へ赴き、頑丈で立派な船を造らせた。帆柱は松の木から仕立てられ、帆も丹念に布から切り取られ、縫い合わされた。船体も鋲でがっちりと接合され、まるでノアが迫り来る洪水を恐れて建造した箱船を思わせた。碇も鉄製で、入り用のときには確実に船を海底に引っかかってくれるだろう。ブレンダン修道院長は八十人が九年もつだけの食糧を船に積み込ませ、また小さな船上礼拝堂に鐘、聖遺物も持ちこませた。また故国からは粉挽きとこね桶、さらには鍛冶道具まで用意させた。これで船出の支度は万端整った。ブレンダン修道院長はこれからの航海からぶじ帰還するが、同行させたふたりの礼拝堂用度係のうちことりはたいへんな災難に遭遇する。あろうことかこの御仁、いとも高価な馬勒をくすねてしまったのだ。悪魔にこの盗みを見られるや、地獄へと引きずりこまれ、ブレンダン院長の必死の祈りで解放されるまで、したたか大目玉を喰らうこととあいなる。

(1). 民数記 22 : 21-35。

(2). 詩編 51 : 55。

底本 : C. Stuttgart, Württembergische Landesbibliotek, cod. poet. et phil. 2°22(Comburg ms.), ff.179-92v. c. 1380-1425. オランダ語韻文版『航海』について、ユトレヒト大学のクララ・ストライボシュ女史は、1150年頃にライン地方で書かれたあと散逸した原詩(O)から派生したとし、ふたつの写本が現存している。底本はそのうちのひとつ、コンブルク写本と呼ばれるもの。
 原詩(O)の構成要素をなすオランダ語・ドイツ語写本にはラテン語版から借用した挿話がほんの数例しかなく、いずれも大胆に書き換えられ、場面によっては原形をとどめないほど変わっている。そのほかの挿話についてはほとんどが東方世界の驚異、被造物のもつ超自然的側面を記述した12世紀の文献と関係している。いっぽうでアイルランドの航海物語群(『メルドゥーンの航海』と『コラの息子たちの航海』、『聖ブレンダン伝』など)もオランダ語版『航海』に織り交ぜられている。オランダ語韻文版原作者の詩人はアイルランド起源の説話群にも通暁し、代々伝えられてきたラテン語版を当世風に改作するさいに利用、あるいは「変身」させた。この原詩の改作が、13世紀中期オランダ語版のふたつの写本と思われる。

内容と構造 : ふたつの写本は詩行が段落に分けられたり章立てされずに書かれている。以下はオランダ語版のおおまかな全体構造。オランダ語版には欠落してドイツ語散文版に登場する挿話については、挿話を示す数字のあとに*で示している。[ ]で囲まれた行数は原作と異なる位置に移動させられた挿話を示す。

1 序章(1-20)
2 本を火にくべる(21-78)
3 舟の建造(79-136)
4 巨人のされこうべの発見(137-260)
5 火を吐く雄鹿と海蛇の闘い(261-92)
6 大魚の背に上陸(293-342)
7 恐ろしい人魚(343-67)
8 不信心者の霊(368-420)
9 「魔の海」と海底の磁石山(421-45)
10 巌の頂の修道院訪問(446-518)
11 かつてパンフィリアとカッパドキアの王だった隠者との遭遇(519-624)
12 地獄の入り口で劫火に焼かれる霊魂(625-99)
13 第一の楽園城・弟子の一人が盗みを犯す(700-802)
14 第二の城訪問・地上楽園(803-62)
15 盗みを犯した弟子が悪魔に誘拐され、解放される(863-1008)
16 ***
17 サイレンにより全員睡魔に襲われる(1009-31)
18 悪魔の島(1032-1114)
19 ***
20 聖ブレンダンの幻視(1115-50)
21 魚の大群に取り囲まれる(1151-1202)
22 土くれの上で漂流する隠者と遭遇(1203-1304)
23 ユダとの遭遇(1305-1556)
24 火の鳥(1557-96)
25a 「善き土地」到着(1597-1814)
25b ヴァルセラントとの議論(1815-2068)
26 海蛇に取り巻かれる[2111-2160]
27 海中世界からの音[2161-2202]
28a ***
28b ***
29 木の葉に乗った小人との遭遇(2069-2110)
30 ***
31a 本の完成[2203-18]
31b 錨を失う[2179-2202]
32 ***
33 帰還と聖ブレンダンの死(2219-62)
34 終章(2263-84)

Abbot Brendan reading the Book
本を読むブレンダン院長
( from Seafaring Saint )

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 ドイツ語散文版『航海』 Sankt Brandans Seefahrt 第一章-第三章

 むかしむかし、聖ブレンダンというたいへん清い修道院長がおりました。(1) アイルランドに生まれ、当地の有名な修道院の長をつとめておりました。さてあるとき、ブレンダン院長がとある書物を見つけてこれを読みますと、こんなことが書いてありました。神は天と地と海に大いなる驚異を創造された。この世には天が三つ、地上には楽園がふたつと煉獄が九つあり、人跡未踏の荒野が数多く存在する。またこの地上世界の下には地下世界が存在し、地上世界が夜のとき地下世界では昼である。また海にも神の大いなる秘蹟が存在する。太古の昔より生きながらえた巨大魚が何匹か生息していること、その背には小高い木々がうっそうと茂り深い森にまで成長していること。また毎週土曜日(2)になると、神の慈悲により、ユダが地獄の苦しみから逃れてひとときの休息を得ていること、などなど。

 こんなこととても信じられない、と聖ブレンダンはくだんの書物を火にくべて燃やしてしまいました。めらめらと火が書物を焼き尽くすかたわらに立っておりますと、天からひとりの天使が舞い降りてこう呼ばわりました。
 「わが友ブレンダンよ、なぜ汝は真実を火にくべてしまったのだ? いま汝が読んだこの書物に書いてあることよりさらに偉大な御業を神がお示しになられることを信じないのか? 生ける神に代わって汝に命じる。船を建造して船出せよ。汝が読んだもろもろの驚異をその目でしかと見るのだ。汝はまるまる五年(3)、大海原を漂流し、神の大いなる驚異をつぎつぎと目の当たりにするであろう。これは神の御心である。そして悟るのだ。汝は真実を火にくべてしまったことを」。
 これを聞いた聖ブレンダンはわれらが主の逆鱗に触れたのではないかとたいそう心を乱しましたが、主のご命令とあっては従わないわけにはいきません。天使が天へ帰ったあと、聖ブレンダンは、われらが主のご加護を熱心に請いました。祈り終えたブレンダン院長は、主のご命令を喜んで実践にうつしました。

 院長は皆にノアの箱舟にならった大船を建造させ、船体には鉄の厚板を張って補強しました。船が完成すると、ブレンダン院長は、十二人の弟子とご自身が必要な糧食と衣服、その他生活に必要な品々を九年分、船に積みこむよう命じました。また船にはちいさな礼拝堂も造らせ、聖別したのち多くの聖遺物を持ちこみました。そしてアイルランドでもっとも清い修道士を十二人選びました。お供に選ばれた修道士はみな、喜んでご命令に従いお供したしますと院長に誓いました。長い航海ののち、お供の弟子は、地上楽園から姿を消した一名をのぞいて、ブレンダン院長とともにぶじアイルランドに帰りつきましたが、あやうく悪魔に連れて行かれそうになった修道士がひとりおりました。こちらは皆の熱心な祈りのおかげで悪魔から解放されたのですが、その顛末はのちほどお話しすることといたします。
 さて、皆さんはこれから聖ブレンダン一行が遭遇した、大いなる神の御業を聞くこととなります。船の艤装がすっかり整いますと、聖ブレンダン一行は修道院の皆に暇を告げて、神の御名のもと、船上の人となりました。一行はたいそう不安ではありましたが、帆を揚げ、航海をつづけました。大いなる驚異に出遭うこともなく六か月半が過ぎました。ほどなくしてある日の朝、聖ブレンダン一行は一匹の蛇が海中の山から船に向かってくるのを見ました。蛇はぱっくりと大口を開け、いまにも船を呑みこまんばかりの勢いで迫ってきました…

(1). ゴータ写本GではBrandonと綴られ、ハイデルベルク写本HではBrandeと綴られている。

(2). Hでは「毎週土曜に」alle samstage zu nacht となっている。

(3). ほかの写本では「九年」とあり、H写本の後半でもそう書かれている。

底本 : G. Gotha, Forschungs- und Landesbibliotek, Chart.A13. ff. 54r-63r. 中期オランダ語韻文版と同様、この中世高地ドイツ語散文版『航海』も源流は散逸したおなじオランダ語原詩にある。この逸名作者の手になるドイツ語散文版(P)の成立年代は14世紀後半か15世紀前半と思われ、高地ドイツ語(シュヴァーベン方言)による4つの写本と、1476年ごろアウグスブルクのアントン・ゾルクからはじまり1521年におなじアウグスブルクのハンス・フロシャウアーまでつづく一連の「揺籃期(incunabula)」活版印刷本によって今日に伝えられている。4つの写本のうち3つについては古くより知られているが、最後の写本はごく最近の発見である。3つの写本のうち、ゴータ写本(G)と呼ばれる写本に収められた聖ブレンダンの航海物語は15世紀前半の作とされ、底本となった散文版にもっとも近いと推定される。ミュンヘン、ハイデルベルク写本(M, H)と呼ばれるものは前者が15世紀後半、後者が1460年ごろに書かれたとされ、この写本群ではやや後期の作に属する。両写本には線画も添えられている。ごく近年になって発見されたベルリン写本(B)はカスペール・レンボルトなる写字生の署名入りで、15世紀後半~16世紀前半にかけて書き写されたものと考えられ、ハイデルベルク写本hに収められた版ときわめて近い関係にある。
 中世後期ドイツ語散文版Pの原作者(あるいは編纂者)は底本とした原本にいろいろ手を加えて当世風に書き換えているが、写本には12世紀起源のおおもとの原典Oに含まれていた内容も盛り込まれ、たいへん貴重な存在である。何冊かの印刷本をもとに、1871年にカール・シュレーターがドイツ語散文版の校訂版を出版した。ハイデルベルク写本Hに収められたブレンダン航海譚は1987年、G.E.ゾルバッハによって現代ドイツ語訳として編纂された。また1993年にU.ボードマン、K.A.ゼンカーらがカラーマイクロフィッシュによる復刻版を出している。ゴータ写本Gのブレンダン航海譚は1996年、M.L.ロトセルトによって編纂された。ベルリン写本版Bは1998年、R.ハーン編纂により出版されたがミュンヘン写本版はいまだに校訂版が発表されていない。

内容と構造 : 写本Gでは各挿話は章立てあるいは段落に分割されずに書かれている。読みやすさを考え、各挿話を以下のとおりまとめておく。オランダ語、各国語版と比較しやすくするため、各挿話の章立てはストライボシュ女史が2000年に発表した、オランダ語原典Oの順番にもとづく。数字のあとの*はドイツ語散文原本Pであるゴータ写本Gでは欠落し、中期オランダ語韻文版写本C/Hには存在する挿話を示す。

1. ***
2. 書物を火にくべる、その顛末
3. 船の建造、出発
4. ***
5. 竜が空飛ぶ牡鹿に倒される
6. 大魚の背に乗り上げる
7. 恐ろしい人魚の脅威
8. 不正を働いた霊魂との遭遇
9. 「魔の海」と海底の磁石山
10. 巌の上に聳える修道院訪問
11. かつて王だった隠者との遭遇
12. ***
13. 最初の楽園、城内で修道士のひとりが高価な馬勒をくすねる
14.第二の城、地上楽園
15. 馬勒を盗んだ修道士が地獄に連れ去られる
16. 「魔の海」ふたたび
17. サイレーンによって眠りに落ちる
18. 悪魔の島
19. ブレンダンが頭巾を失い、また取りもどす
20. ***
21. ***
22. ちっぽけな芝土に乗って漂う隠者との邂逅
23. ユダ遭遇
24. 炎に焼かれる鳥
25a. 「善き土地」
25b. ヴァルセラントとの議論
26. 海蛇に取り巻かれる 27. 海中世界に住む人間との接触
28a. 小人ベッテヴァルトと隠者
28b. ***
29. ***
30. ヒルテラン(ゴータ写本Gでは31a/bのあと)
31a. ブレンダン、海で見た驚異を記録し終える
31b. 碇を失う。ベッテヴァルトが曳航する
32. ***
33. 故国への帰還、ブレンダンの死
34. エピローグ

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オック語版『航海』 Occitan version

 聖者ブレンダンはいとも高貴な名門の生まれで、偉大な禁欲の人、輝ける高徳の人であった。伝えられるところでは、聖ブレンダンは数多くの修道士と修道院共同体を治める父であった。院長の望みは大洋の果てを捜し求め、探検することだった。

 聖ブレンダンは全共同体から十四人の弟子を選び、一同を礼拝堂に集めてこう切り出した。
 「主に深く愛される皆の者よ、いまから述べることについて、皆の意見を聞かせてほしい。いまわたしの心は『約束の地』へ赴く決意をかためておる。かの地へゆき、聖人たちの聖なる遺物をこの目で見たいと切望しておる。皆はどうか? 賛同してくれるか?」
 一同はブレンダン院長の願いを悟ると、声をそろえてこたえた。
 「院長さま、すべては仰せのままにすること、これがわれらの願いでありこたえでございます。われらはみな天に召されるその日まで、一生、院長さまにつき従う覚悟ができております。ただひとつわれらの求めるもの、それは主イエス・キリストの御心です」
 聖ブレンダンは一同に四十日の断食をしてから出発するように命じた。四十日の断食が明けると、一行は修道院の兄弟たちに暇を告げ、東の海岸、エンダという名の、院長が所有する島にある聖ブレンダン修道院へ向かった。(1). 一行は島に三日三晩とどまり、ひじょうに軽い小舟を四十日かけて用意した。船体を牛の革で覆い、外側の継ぎ目を釘で留めた。一行は人間の生活に必要な品を積みこみ、帆柱を立てて帆を張り、舟に入り用のものすべてを持ちこんだ。

(1). 原文はAhenda。原典のラテン語簡略版ではEnda。

底本 : Paris, Bibliotheqèue Nationale de France, fr. 9759, fr.210-13r. オック語版で現存するのはパリ国立図書館に収められている写本のみで、15世紀の作と考えられている。オック語の方言であるオート・ラングドック語で書かれた聖人伝とともに散文で書かれている。写本はニ段に組まれ、ひとつの段につき33本の薄い罫線が引かれている。

成立年代と原典 : 逸名作者によるオック語版成立年代を特定する手がかりは、「1211年6月12日」という写本に記された日付のみである。
 原典については、ブッシュ・ド・ローヌ県のベネディクト会修道院で発見された、MS BNF, lat. 755として知られるラテン語で書かれた簡略版『航海』とする説がある。いまひとつはRome, Biblioteca Vallicelliana, vol.7というラテン語の簡略版『航海』で、両者には共通点が多い。こちらの写本は1872年にモラン枢機卿によって編纂された聖ブレンダン伝説集(Acta Sancti Brendani)に、「聖ブレンダンの祝日にまつわる伝説」として収録されている。オック語版がパリ、もしくはローマのラテン語版『航海』を下敷きにしているのか、あるいは共通の祖形から派生したのかについては不明。

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カタルーニャ語版『航海』Catalan Version

 修道院長聖ブレンダンはいとも高貴な名門に生まれた。気高く、偉大な禁欲の人で、五百人の修道士の長であった。この聖ブレンダンは、大洋を取り巻く広大な土地を探索したいと願っていた。ブレンダン院長はお供として十四人の弟子を選び、尋ねた。
 「愛する兄弟よ、わたしは『約束の地』へと赴く。同行してもらいたい」
 弟子は口をそろえてこたえた。
 「聖なる父上よ、わたしどもはみな天に召されるその日まで、いずこでも父上様につき従う覚悟はできております」
 聖ブレンダンは出発前、一同に十日の断食をするよう命じた。十日の断食が明けると、一行は修道院の皆に暇を告げ、東の海岸へ向かった。エンデと呼ばれる島にたどり着いた一行は、島で三日過ごした。その間、一艘の舟を見つけた。舟は華奢で軽く、船体は牛の革を張ったものだった。その舟にいくばくかの食糧を積み込むと一行は身体を休ませた。そのとき島に住んでいる修道士が三人、聖ブレンダン一行のもとにやってきて、自分たちも巡礼のお供に連れて行ってほしいと言った。聖ブレンダンは三人の願いを受け入れた。総勢十八人となった一行は舟に乗船し、帆も舵もないまま、すべてを神に託して海に乗り出した。一行は大海原のただなかで十五日、風の吹くまま海流の流れるまま、あてどなく漂流していた。強風が吹きすさぶときもべた凪のときもあったが、一行は飲み水を補給できる島にたどり着くようにと神に祈った。

底本と成立年代 : V. Vic/Vich, Biblioteca Episcopal, 174, ff.512v-522r.   カタルーニャ語散文による写本は2点現存し、ともに15世紀前半と推定されている。ふたつの写本は物語の長短によって区別され、物語の長いほうは前出のオック語版と構造が似通っている。上記訳は短いほうのヴァージョン。写本の頭文字は青文字・赤文字と交互に彩色され、各章冒頭の文字には凝ったフィニアル装飾を施されたものもある。作者不詳。

内容と構造 : オック語版と同様、聖ブレンダンその人について書き出したあと、おおまかにつぎのような内容で構成される。

(1). 冒頭部~弟子を集める
(2). 最初の航海
(3). ユダとの遭遇
(4). 約束の地
(5). 遅れて来た修道士を失う
(6). 聖ブレンダン、ペルシャとエルサレムを経由したのちに帰還

  各挿話間でラテン語版『航海』中の挿話が混交している部分も見受けられ、筆写されてゆくうちに混乱が生じた可能性がある。また17人の弟子が18人になったり、数の数え間違いも見られる。この「短い」ほうの写本でもっともユニークなのは、聖ブレンダン一行が帰路、大きく迂回して紅海から「ペルシャの皇帝」に謁見、航海中体験した出来事を記録した書物を献呈したのち、皇帝ともどもエルサレム詣でをしてから故国へ帰還するという終結部をもっていること。これは当時の「十字軍もの」叙事物語が影響していると考えられる。また最後の挿話に出てくる牛を見張るふたりの男については、クレチアン・ド・トロワの『イヴァンまたは獅子を連れた騎士』に登場する「真っ黒の、醜い牛飼いの大男」も連想させる。

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『南イングランド方言版聖人伝』所収の最古の英語版『航海』
South English Legendary Version, c. 1400?

 聖者ブレンダンはアイルランドに生まれ、編者の理解するところでは、断食と修行に明け暮れた厳格な生活を送った人だった。聖ブレンダンは故国で三千人の従順なる修道士を抱える共同体の長であった。

 ある日、我らが主の御心のままに、バリントと名乗る修道院長がたまさかブレンダン院長を訪ねた。ややあって聖ブレンダンが、院長さまがよその土地のそこここでで見聞したことを話して聞かせてくださいと頼むと、この高貴なるお方は何度も溜息をつき、途方に暮れてさめざめと涙を流すと、気を失ってその場に倒れこんでしまった。聖ブレンダンがこの聖者を抱き起こし、接吻をして名前を呼ぶと、聖者は意識を取りもどした。
 ブレンダン院長が呼びかけた。「院長さま、そんなふるまいはどうかおやめください。あなたさまはわたしどもに喜びをもたらすために訪問されたのであって、悲しみに暮れるために訪問されたのではありません。どうかお話ください、院長さまが我らが主の命により、渺茫たる大洋のただなかで見聞きしたことを」

 「大洋」はもっとも広大な海、全世界を取り巻き、海という海はみなこの大洋とつながっている。(1)それゆえ、この老聖者バリント院長は心からのかたじけなさから大いに涙を流しつつ、大洋で体験したことを話しはじめた。
 「わたしには名づけ子(2) がひとりおりました。名はマーノックといいます。わたしどもとおなじく修道士で人望も厚かったのですが、やがてマーノックはひとり心ゆくまで神に仕えるべく、静かな孤島へ退きたいと切望するようになりました。そこでわたしの許可を得て、マーノックはひとり舟に乗ってはるか海原のかなたにある孤島にたどり着きました。その島は至福に満ち満ちており、世界にあまねく知られた岩山のそばにあります。(3) この善き修道士は長い歳月のあいだかの島に留まり、いまでは多くの修道士がマーノックのもとに集まっています」

 そのことを伝え聞いたわたしはすぐに舟を出し、マーノックのいる島へと向かいました。我らが愛する主は名づけ子にわたしが島へ向かってくることを夢で知らせたので、わがマーノックはわたしを出迎えるべく舟を出し、三日ののちにわたしと出会いました。わたしどもは一艘の舟に便乗すると、そのまま大洋の海流に乗ってまっすぐ東へ進みました。大いに難儀しましたが、はるか東の地までやってくると、かの地はとても暗く、厚い雲にすっぽりと覆われてしまいました。さらに東へ舟を進ませると、我らが愛する主はついにわたしどもに島を示され、わたしどもはその島へと舟を入れました。島は太陽のごとく明るく輝いていました。なんとも喜ばしいことに、島中、至るところに樹々や植物がうっそうと生い茂り、宝石がまばゆい光をあまねく放っていたのです。どの植物にも花が咲き、どの樹にもたわわに果実がなっていました。かの地が天国でもないかぎり、これ以上の至福はありえません。わたしどもはすこぶる満たされて、長いこと島を彷徨いましたが、島ではほんの一瞬にしか感じませんでした。島には境界線はありませんでしたが、やがて東から西へとまっすぐに流れている、一筋の澄み切った河に出ました。わたしどもは川のほとりで立ち止まり、周囲を見回しました。
 そのとき、なんともみめよい顔立ちの若者がうやうやしくわたしどもを出迎えてくれました。若者はいとも優しく、満面の笑みをたたえてわたしどもひとりひとりの名前を呼び、丁重に歓迎してこう言いました。『主イエス・キリストに心から感謝なさい。主はそなたたちに隠されたこの地と力とをお見せになったのですから。のちの世、世界が終わりを迎える前に、主に愛される地上の者はこの島を授けられ、ここにやってくるのです。この広大な島は見てのとおりこの河でふたつに分かたれています。もう半分は河の対岸にあります。だが河を渡って、島の反対側へ行ってはなりません。そなたたちはもうまる一年、この島に留まっているのです。食べたリ飲んだりすることもなく、かつ眠ることもせず、暑さ寒さ、夜も経験せずにです。それはここが神の隠された地であり、この光は神から降り注いでいるのです。それゆえ島には夜はなくつねに昼なのです。人間が神の命に背いたため、子孫であるそなたたちもこの地に留まることは許されないのです。これ以上、この地に留まってはなりません。ただちに引き返しなさい。たとえ島での滞在がほんの束の間に思えても』。
 それで、若者はわたしどもを船着き場まで導くと、たいへんうやうやしく暇乞いしました。わたしどもが乗船し、帰路に就くと、若者の身になにが起こったのかはわかりませんが、わたしどもの意に反してその姿はもうありませんでした。わたしどもは大いに悲しみました。舟はふたたび名づけ子の兄弟たちが住む島へと近づきました。修道士たちがわたしどもを認めると汀へ駆け寄り、悲しみのあまり怒りをあらわにして、かような長き不在を責めたのでこうこたえました。わたしどもは楽園の門前にある、『約束の地』に滞在していた。かの島は我らが主が愛する者のために約束された地で、夜はなくとこしえに昼であり、つねに光が降り注いでいる。わたしどもはすっかり満ち足りて、喜びに溢れていた、と。すると修道士たちはこう言ったのです。『仰せのとおり、かの地に留まっていたことはお召し物から漂うえも言われぬ香りからわかります』」
 話を聞いた聖ブレンダンはしばし物思いにとらわれてその場に立ち尽くした。これが神の御心ならば、かの地についてもっと知りたい。ブレンダン院長は修道士のなかから、なにが起ころうとも忠実に付き従う、もっとも信頼する弟子十四人を選んだ。院長は十四人の弟子を密かに呼び集めると、こう切り出した。
 「わたしは密かに思っておる。皆の意見が聞きたい。神がわれわれを導いてくださるのならば、わたしもあの『約束の地』を探し出したい。この崇高な航海に乗り出すことについて、なにか意見があるか?」
 弟子がこたえた。「父上さま、わたしどもはみな自分の意志を捨て、友や財産いっさいを捨てて、父上さまにこの身を捧げているのです。わたしどもの行いは父上さまの仰せのままゆえ、父上さまがお望みなら、わたしどもも喜んでお供して、我らが主の摂理をこの目で見たく思います」。

(1).  Occean(Occian)は、この編纂者もしくは底本にした写本作者が、内海である「地中海」とは異なる円盤上の地表を取り巻いて流れる「大いなる海」という古代ギリシャの世界観からラテン語版『航海』のoceanoを解釈した語と思われる。

(2).  大半の各国語版と同様に、英語版も聖マーノックをバーリントの「息子」ではなくて「名づけ子」としている。

(3).  ラテン語版『航海』の「スリーブリオグ(石の山)の沖に浮かぶ、『歓喜の島』なる地」'insulam iuxta montem lapidis, nomine deliciosam'  という箇所を固有名詞ではなくて一島の描写として記述している。

底本と成立年代 : Oxford, Bodleian Library, Laud.misc. 108, ff.104r-110r. 1300年ごろ  『南イングランド方言版聖人伝』(South English Legendary, SEL)はほぼ同時期に大陸で成立したヤコブス・デ・ヴォラギネ編纂の『黄金伝説  Legenda aurea』を下敷きとしてブリテン諸島など古英語圏に人気のある聖人を独自に取り入れたりして成立したもので、各聖人の祝日を教会の重要祝日とともに教会暦の順に記述した教会暦と聖人伝を合体させたような作品。聖ブレンダンについての言及があるのは上記に訳出した最古の写本をふくむ18の写本群。最古の写本にはのちの時代の写本に収録されている聖人についての言及が欠けていたり、配置の混乱があったりすることから本来はべつべつに存在していた写本を一冊に合本した可能性もふくめて発展途上の姿であるとする見方が一般的。これとはべつに、大陸版『黄金伝説』を下敷きにした英語版のGolden Legendがあり、こちらはウェストミンスターの活版印刷家ウィリアム・カクストンが1484年に印刷本として出版した。カクストンはこの印刷版『黄金伝説』に聖ブレンダンの項目を「聖ブランドン伝 The lyfe of Saynt Brandon」として収録している。

内容と構造 : 18の写本間で些細な異同があるものの、約730行からなる物語はおおよそつぎのような構造になっている。

1).  聖ブレンダン、聖バリントから「聖人たちの約束の島」の話を聞く(1-80)

2).  14名の弟子とともに船出、途中でさまざまな島に立ち寄る(81-342)

3).  キリスト教会暦の主要祝日をおなじ島に立ち寄って祝う。獰猛な獣との遭遇、地獄の島通過(343-513)

4).  ユダと隠者パウロとの遭遇(514-663)

5).  おなじ島々で重要祝祭を祝ったのち、「聖人たちの約束の島」到着。アイルランド帰還と聖ブレンダンの死。(663-733)


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