ラテン語版『聖ブレンダンの航海』 1

鯨のジャスコニウス

 『大修道院長聖ブレンダンの航海』Navigatio Sancti Brendani Abbatis には膨大な数の写本群が現存し、ラテン語版だけでも125もの写本が発見されています。
 近代以降、さまざまな校訂者による版本が刊行されましたが(参考文献を参照)、ここで使用するのは米国人学者カール・セルマーによる校訂版(Carl Selmer ed., Navigatio Sancti Brendani Abbatis : From Early Latin Manuscripts, Reprinted Edition, Four Courts Press, Dublin, 1989)です。
 カール・セルマーは20年以上の月日をかけて、旧ソ連をのぞくほぼ全ヨーロッパ諸国の図書館を渡り歩き、現存する10世紀から17世紀にかけて制作されたラテン語版写本を逐一検証、物語の原型をもっともよくとどめる写本としてベルギー・ヘント大学図書館蔵の写本(Codex 401, 10-11世紀ごろ)を選び、これを中心に18の写本からラテン語校訂版を1959年にノートルダム大学出版局から出版しました。ここに訳出した物語の要約はセルマー校訂版にもとづいています。
 セルマーによる科学的校訂版はこんにちもなお貴重な労作として認められていますが、刊行当初からいくつか欠陥が指摘されてきました。代表的なのが航海譚冒頭の聖ブレンダンの出自にかんする記述で、ブレンダンはアルテの曾孫ではなくアルトリー一族の出身にすぎないこと、オーガナハト族Eoganachtにかんする記述の誤読などがダブリン高等研究所のJ. カーニーらに指摘されています。

 ここに訳出したのは全体の要約ですが、冒頭部のみ、ラテン語版とそれを下敷きにした代表的な各国語版とを比較したページに完訳文をそれぞれ用意してあります。⇒ こちら
 ここではセルマー校訂ラテン語版写本からティム・セヴェリンが英語で要約したものを底本としました。

Tim Severin, The Brendan Voyage, Hutchinson&Co Ltd., London, 1978, pp. 265-273。

成立年代 : ラテン語版『航海』の成立時期については中世史家D. ダンヴィルらが作品冒頭部のオーガナハトとの政治的関連から「8世紀後半ごろ」と主張しています。現在、この説は広く認められていますが、9世紀はじめごろとする見方が一般的です。オランダのクララ・ストライボシュ女史は、姉妹編ともいうべき『メルドゥーンの航海』とこの『聖ブレンダンの航海』はともに同一の祖形をもち、そこから派生して伝えられたと主張しています。

*ラテン語版『航海』邦訳について : 昨年10月、広島大学フランス文学研究第22号に、和歌山高専助教授太古隆治先生によるセルマー校訂版を底本とした邦訳が掲載されました。ラテン語版原典からの邦訳は今回がはじめての試みとなります。なお邦訳は第12章までで、残りは今年後半刊行の第23号に掲載されます。
この情報については、邦訳を発表された訳者の太古先生のご協力を得ました。この場を借りて厚くお礼申し上げます。

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1.聖バーリンドの話 聖ブレンダンがクロンファートで三千人を擁する修道院共同体の長をつとめていたとき、バーリンドと名のる修道士の訪問を受けた。パーリンドは聖ブレンダンに聖マーノックを訪ねてきたことを話した。マ一ノックはかつてバーリンドの弟子だったが隠修士として師のもとを去り、いまは沖の島の修道院長をつとめている。その聖マーノックがバーリンドに、「聖人たちの約束の地」へともに船出しましょうと誘った。舟は西へむけて出帆すると、やがて厚い霧をぬけて広大な陸地にたどりついた。そこには果実がたわわに実り、花が咲き乱れていた。ふたりは十五日間陸地を歩きまわったあげく、東から西へ流れる川に出た。そのほとりで男に出会った。男はふたりに、これ以上行ってはならぬ、故国へもどられよと言った。また、この島は天地創世以来ここにあり、食べ物も飲み物もいっさいいらなかったとはいえ、そなたらはじっさいには十五日ではなくて一年もいるのだ、とも言った。ふたりは舟まで男に送られて、ふたたび舟に乗りこむと、男の姿は消えてしまった。ふたりの訪問者は霧をぬけて聖マーノックの修道院のある島にもどってきた。島の修道士からは、聖マーノックはその「約束の地」に定期的に通って、長い間かの地にとどまるのですと話した。

2.弟子の選抜 バーリンドが庵に帰ったのち、聖ブレンダンは自分の修道院から十四人の修道士を選び、「聖人たちの約束の地」へどうしても行きたい旨を話した。それを聞いた修道士は全員、すぐにお供を願いでた。

3.聖エンダ訪問 断食のあと、聖ブレンダン一行は聖エンダの島(アラン諸島のイニッシュモア)へゆき、三日間滞在して、聖エンダから祝福を受けた。

4.舟(カラフ)の建造 それから聖ブレンダンと修道士たちは、「ブレンダンの座」と呼ばれる山の麓のせまい入り江に天幕を張り、舟の建造にかかった。木枠を組み、その上をオークの樹皮でなめした牛革で覆い、革の継ぎ目には獣脂を塗りつけて防水処置をほどこした。舟にはマストと帆、舵、四十日分の食料を用意し、予備の革と獣脂も積みこんだ。

5.遅れて乗船した三人 一行が出帆しようとしたちょうどそのせつな、三人の修道士が汀にやってきて、自分たちも乗船させてほしいと懇願した。聖ブレンダンはこれを認めたが、ふたりは悲惨な最期を遂げるだろう、三人目も航海から生きて帰れないだろうと警告した。

6.誰もいない島 西へむけて十五日間航海をつづけたが、凪ののち方向を見失い、巌がそそりたち絶壁から細い滝が流れ落ちる島へ吹き寄せられてしまった。からくも絶壁に開いた隙間のような入り江に舟を入れた。そこから上陸すると、一匹の野犬がいて、一行を村へ案内した。村の大きな館に入ると、食べ物が用意されていて、一行はそれを食した。三日間その館に滞在しても人の姿は見かけなかった。ただし食べ物だけは用意されているのだった。

7.修道士の死 館での滞在も終わり近くなったとき、遅れてきた修道士のひとりが銀の馬勒を見つけて盗もうとしたので、聖ブレンダンはその修道士を叱った。そのとたん、修道士の胸から小悪魔が飛び出したかと思うと、その修道士は死んでしまった。

8.若い「給仕」 一行が舟に乗りこもうとすると、若い男がやってきて、航海で入り用になるからと籠一杯のパンと水差し一杯の水を一行に差し出し、こんどの航海は長いものになるだろう、と忠告した。

9.羊の島 つぎなる上陸地は魚がたくさん泳ぐ大きな河がいくつも流れる島だった。その島は「羊の島」と呼ばれている。一年中、すばらしい毛並みの白羊の群れが走り回っているからだ。一行はそこに洗足木曜日から聖土曜日までとどまった。島民がひとりやってきて一行に食べ物を運んできてくれ、つぎのごとく預言した。「みなさんは復活祭の日にこの近くの島に着き、それからさほど遠くない西の沖に浮かぶ「鳥の楽園」という名の島に着くでしょう。その島には聖霊降臨節第八日目までとどまることになります」

10.大魚ジャスコニウス 「羊の島」からいちばん近い島は、石だらけで草も生えていなかった。弟子たちは汀に着けた舟を綱で浜へひっぱりあげてから火をおこし、「羊の島」からもってきた肉を何切れか料理しにかかった。ところが鍋が沸騰するや、なんと島が揺れ動きはじめるではないか。修道士らは仰天し大慌てで舟にもどった。しばらく見守っていると、自分たちのおこした火を乗せたまま、その「島」が沖のかなたへ去ってゆく。聖ブレンダンは一同に言った、「あの『島』は“ジャスコニウス"と呼ばれる、海でいちばん大きな魚である」。

11.鳥の楽園 さて一行は「羊の島」の西方に横たわる狭い海峡をへだてて浮かぶ「鳥の楽園」へと舟を進めた。舟を曳いて細い小川を1マイルほどさかのぼると水源の泉と巨木があり、数えきれないほどの白い鳥が枝に止まっていた。そのうちの一羽は飼い馴らされているかのごとくおとなしく、舟に飛来して聖ブレンダンに話しかけ、わたしたちは人間の霊魂であると言い、あなたは「約束の地」にたどりつくのに七年かかるでしょうと告げた。夕祷やほかのお祈りの時間には、鳥たちが賛美歌を歌い、詩編の一節を唱えた。修道士らはしばし「鳥の楽園」にとどまり、「庶務修道士」つまり「給仕」の運んでくる食べ物を食べたのだが、その「給仕」は「羊の島」で」行をもてなしてくれたのとおなじ男であった。男は清水も運んできてくれたが、この島の泉の水はじかに飲んではいけない、飲むと眠りに落ちるからと警告した。

12.聖エルベの修道院 一行はさらに三か月間航海をつづけた。まわりには空と海しかなく、皆は疲れ果て、つぎなる島が見えても逆風をついて漕ぐ気力もほとんどなかった。それでもなんとか小さな船着き場へ舟をつけると、島のふたつある泉から桶に水を汲んだ。ひとつの泉の水は清く、もうひとつは泥臭かった。そこで一行はいかめしい顔つきの白髪の老人に出会った。老人は一行を上陸地点から200メートル離れたところに建つ修道院へ案内した。門前で、聖遺物箱と十字架をたずさえた十一人の修道士が聖歌を歌いながら聖ブレンダンたちを出迎えて抱擁し、修道院長が一行の足を洗った。それから一行は十一人の修道士らとともに席につき、甘草と白パンの食事を食べた。ここで修道院長は沈黙の規則を破り、パンはどれも食料貯蔵庫に奇跡的にもたらされたものであり、礼拝堂の蝋燭の火も燃え尽きることがないと話した。この修道院では火を通した食べ物はいっさいとらず、総勢二四人の修道士はみな歳をとることがないように見えた。
 食事のあと、聖ブレンダンは二四脚の椅子が円形に並べられた礼拝堂と、切り子の水晶でできた箱形の聖餐台を見せられた。礼拝堂そのものも箱形であった。礼拝堂での終祷のあと、一行は修道院の石室をそれぞれあてがわれてその場を辞したが、院長と聖ブレンダンは蝋燭の火の奇跡をこの目で確かめるべくその場に残った。待っているあいだ、院長は、八十年このかた人の声を一度たりとも聞いたためしがなく身振り手振りだけで意志疎通をはかってきた、そして体を病んだり俗世の風に毒されて心をむしばまれた者もひとりとしておらん、と話した。そのとき突然、窓から火矢が飛ぴこみ、蝋燭に触れて火をつけ、また飛ぴ去っていったのだった。

13.眠りの泉 聖ブレンダン一行は聖エルベの修道院の一同とともにクリスマスを過ごし、御公現の祝日から八日目に出帆し、四旬節まで漕航したり帆走したりをつづけた。食料も水も底をつき憶俸しきっていたが、その三日後、またべつの島に着いた。島には清らかな水の湧く泉があり、そのぐるりを植物や根菜類が取り巻いて生えていた。川底をのぞくと魚が海へむかって泳いでもいた。一行は植物と根菜を採集して食べたが、泉の水を飲んだ修道士の何人かは深い眠りに落ち、ある者は三日、ある者は二日、またある者は一日眠りつづけた。聖ブレンダンが祈ると弟子たちは目醒めた。聖ブレンダンは、この島を離れなければいけないと告げた。小量の泉の水と川で捕った魚を積みこんで出発し、北へむかった。

14.かたまった海 三日後、風はばったりとやみ、海はかたまったかのように静まり かえった。聖ブレンダンは乗組員に擢を取りこむよう指示し、舟の進路は神の導きにまかせた。二十日間、あてどなく漂流していたが、やがて西風が迅く吹きつけ、舟を東へと運んだ。

15.羊の島、ジャスコニウス、鳥の楽園ふたたび 西風は舟を「羊の島」へと吹きもどした。着いた場所は前年とおなじで、あの「給仕」がうれしそうに一行を出迎えた。彼は天幕を張り、風呂を用意し、真新しい衣も供してくれた。一同は聖土曜日を祝い、晩餐をすませた。すると給仕は告げた。「以前みなさんが出会った“鯨"へもどって『復活の日曜日』を祝い、それから『鳥の楽園』へむかうのです。そこにいるあいだは、わたしが渡し舟で食べ物と飲み物を運びます」。
 一行はそのとおりにした鯨に上陸し、「鳥の楽園」へ舟を進めて鳥の歌声に耳を傾けた。「給仕」は聖ブレンダンに告げた。「みなさんは七年おなじことをくりかえすでしょう。すなわち洗足木曜日を『羊の島』で、復活祭を“鯨"で、その後聖霊降臨節までを『鳥の楽園』で過ごし、クリスマスは聖エルベ修道院で迎えることになります」
 その後はこの「給仕」の予見したごとくになり、一行が「羊の島」から食糧をカラフに積みこんで出発するときまで、「給仕」は食べ物を運んできてくれた。

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