ラテン語版『聖ブレンダンの航海』2
16.海の怪物 航海に出て四十日が過ぎたころ、一行は巨大な獣が舟を追ってくるのを見た。獣は鼻の穴から泡を噴き出し、舟に食いつかんばかりに猛烈な速さで波をかきわけてやってくる。修道士らは恐れおののき、神に助けを請うたが、聖ブレンダンは彼らをなだめた。巨大な獣はますます近づき、頭で大波をたてて舟めがけて押しやると、修道士らはいっそう震えあがった。と、そのせつな、反対方向つまり西の方からべつの巨大な獣が現われた。獣は舟のそばを泳いでゆくと、最初の獣に襲いかかり、火を噴いた。獣は修道士らの目の前で最初の獣の体を三つに切り裂いたかと思うと、もと来た方角へ泳ぎ去っていった。
後日、樹々の茂る大きな島を見た。上陸すると、浜には死んだ獣の尾の部分が打ち上げられていた。聖ブレンダンは、この尾は食べられると言った。修道士らは天幕を張り、尾の肉を切り刻んで天幕に持ちこめるかぎり持ちこんだ。島の南側には清らかな水の涌く泉と植物、根菜があり、一行はそれらも採集した。夜、姿の見えない獣が群れをなしてやってきて怪獣の死骸をむさぼり、翌朝になって見てみると骨しか残っていなかった。
時化、強風、霞に雹、雨が三か月もつづき、一行はその島に足止めされた。ある日、死んだ魚が一匹、汀に打ち上げられていたので、修道士らはその一部を食べた。聖ブレンダ
ンが言った。「残りは塩漬けにしてとっておきなさい。じき天候は回復してうねりもおさまり、出帆できるようになる」。
水、食糧と、集めた植物と根菜を積みこむと修道士らは舟を出し、帆を揚げて北へむかった。
17.三組の聖歌隊の島 ある日、海面すれすれの異常に平坦な島に着いた。島には樹が一本も生えていなかったが、真紅と白の果実に覆われていた。島のまわりを三組の聖歌隊が歩いていた。一組目は白衣を着た少年、二組目は青い衣を着た青年、三組目は真紅の祭服を着た壮年からなっており、歩きながら賛美歌を歌っていた。聖ブレンダン一行のカラフが島に着いたのは朝の十時で、聖歌隊は正午と午後三時のお祈りの時間にもしかるべき詩編を歌い、夕べの祈りのときもやはりしかるべき詩編を歌った。聖歌隊が歌い終えると、輝く雲が湧いて島をすっぽりと包み、歌い手の姿をかき消した。翌朝、雲ひとつなく夜が明けると、聖歌隊はふたたび歌いはじめて聖体拝領を執り行った。そのあと、青年組のふたりが真紅と白の果実の入った籠を一行の舟に運んできた。ふたりはまた、遅れて乗船したふたり目の修道士に仲間に加わるように言った。聖ブレンダンはこれを認めたので修道士は青年聖歌隊員とともに島に残り、一行のカラフは出帆した。三時に一行は供された真紅と白の果実のうちのひとつを食した。果実はどれも同じで、大きさは大きな球ほどもあり、果汁がたっぷりあった。聖ブレンダンが一個の果実を絞ってみると1ポンドもの果汁が取れたので、皆で分けて飲んだ。果実一個で十二日間はもちこたえた。果実は蜂蜜の味がした。
18.葡萄の島 数日後、巨大な鳥が一行の頭上に飛来し、見たことのない木の枝をくわえていた。鳥はその枝を聖ブレンダンの膝の上に落とした。枝先には鮮やかな赤の葡萄の実がなっており、一粒一粒がリンゴほどもあった。修道士らはその葡萄を食べ、八日間それだけでしのぐことができた。その後は食料が底を突き、そのまま三日がすぎた。すると、一行の前に樹の生い茂った島が現われた。樹には同じ葡萄の実がなっている。島の空気はザクロの香りがした、一行は天幕を張って四十日この島にとどまり、葡萄と、泉の近くに生えているありとあらゆる種類の植物と根菜を採り集めた。
19.グリフォン 果実を満載し、あてどなく漂っていると、空飛ぶグリフォンの急襲にあった。鉤爪をたてて襲いかかろうとしたまさにそのとき、葡萄の枝をくわえてきたあの鳥がふたたび飛来して、グリフォンの目をえぐり取って追い払いにかかった。グリフォンはどんどん空高く舞っていったが、ついには殺され、修道士らが見守るなか海へ落ちて
いった。救ってくれたあの鳥はどこかへ飛び去っていった。
20.聖エルベの修道院再訪 その後ほどなくして一行は聖エルベの修道院のある島へもどってきて、クリスマスをともに過ごした。それからは長いこと大海原を航海しつづけたが、洗足木曜日から聖霊降臨節にかけては以前と同様、「羊の島」と「鳥の楽園」にかならず立ち寄った。
21.澄み切った海 そんな航海をつづけていたとき、一度、使徒聖ペトロの祝日に、ひじょうに澄み切った海を進んでいることに気づいた。その海水の透き通っていることといったら、海底の砂地にさまざまな種類の魚が、牧場にいる羊のごとく並んでいるのが見てとれるほどであった。魚は体を丸めていくえにも連なっていたが、聖ブレンダンが祈りの歌を歌いはじめると、魚はカラフ近くの水面まで浮上し、見渡すかぎりつづく大群をなしてカラフのまわりを取り巻いた。ミサが終わると、魚は逃げを打つようにさっと泳ぎ去った。この澄んだ海を渡り切るのに、帆をいっぱいに揚げても八日かかった。
22.水晶の柱 またある日、一行は海上に突き出ている柱を見た。すぐ近くにあるように見えたのだが、そこへたどりつくのに三日かかった。聖ブレンダンが頂を見ようとしても見えないほどとてつもなく高い柱で、網がかかっており、網目が大きな口を開けている。網は銀色で、大理石より堅い。いっぽう柱のほうはまばゆいばかりの水晶でできていた。網目はくぐりぬけられそうである。マストと帆を降ろし擢も取りこむと、修道士らは舟を網目から中へ入れた回網も柱の根元も澄んだ水のなかを底のほうへむかって伸ぴているのが見てとれた。海水はガラスのごとく透き通り、陽の光は海中でも海上と変わりなく輝いている。
聖ブレンダンがその網目をはかったところ、6,7フィート四方であった。それから一行は柱の片面にそって舟を進めた。柱は真四角で、聖ブレンダンが四面をはかってみるとそれぞれ700ヤードであった。柱の影にいても太陽の熱が感じられた。四日目、一行は柱の側面に開いた窓の中に、水晶でできたカリス[聖杯]とパテナ[聖体皿]があるのを
見つけた。
柱の測量が終わると、聖ブレンダンは食事を取るように言った。食事のあと、一行は網を持ち上げて舟をぬけ出させ、帆柱を立て帆を張り、八日間北へむかった。
23.鍛冶屋の島 八日後、岩だらけの荒々しい島が見えてきた。鉱津と炉がいっぱいで草も木も生えていない。聖ブレンダンは不安になったが、風が舟をその島へまっすぐ吹き寄せた。ふいごと鉄床を打つハンマーの音が響いてくる。ひとりの野人が炉から出てきてカラフを認めると、また中に入っていった。聖ブレンダンは」行に、帆を張って全力で漕いではやくここから逃れるのだと命じた。だがそう言っているはじから、さきほどの野人が出てきて鉱滓の巨大な塊を投げつけてきた。塊は一行の頭上を200メートルほど飛んでゆき、海に落ちるや、海は沸騰し、窯から吹き上げるかのごとくもうもうと煙を立ち上らせた。カラフが島から1マイルほど離れると、さらに大勢の野人が渚へ駆け寄り鉱滓の塊を投げつけはじめた。島全体が火に包まれているかのように見えた。海は煮えたぎり、野人の雄叫びが響きわたる。島が完全に見えなくなっても、鼻を突く強烈な臭いが漂ってきた。私たちは地獄のふちに行ったのだ、と聖ブレンダンは言った。
24.炎の山 またある日、北の方の雲間に煙を吐く高い山が見えた。風は舟をそちらへ迅く吹き寄せ、一行のカラフは島のすぐ近くの浅瀬に乗り上げた。目の前には、真っ黒な断崖が壁のごとく立ちはだかっている。断崖はあまりに高く頂が見えない。遅れて乗船した三人目の修道士が舟から浅瀬へ飛びおり、断崖へむかって歩き始めたが、舟にもどる力がないと泣き叫んだ。すると一行の目前で、悪魔の群れがその修道士を連れ去り、炎の中に投げこむではないか。その後、追い風が吹いて一行はそこから逃れられた。かえり見ると、煙を吐いていた山はいまや炎を噴き出しては呑みこみ、山そのものが積み薪のごとく赤々と輝いていたのである。
25.巌の上のユダ 南へむかって七日間航海していると、不思議な光景に出くわした。巌の上に男が座し、男の前には鉄の器具があって布が吊り下げられている。巌には波がたたきつけ、ときおり男の頭にもしぶきがふりかかった。いっぽうで風が吊り下げられている布を男の目や額に打ちつけるのであった。聖ブレンダンが何者かと訊ねると、男はユダであるとこたえ、主が聖別された日には炎の山の地獄の責め苦から解放してこの巌の上に座らせてくれるのだと言った。日が暮れると数知れぬ悪魔の大群が海を覆い、巌のまわりを旋回して金切り声をあげ、ここから去れと聖ブレンダンに命じるのであった。聖ブレンダンは悪魔どもと言い合いになり、悪魔どもはその場を離れてゆく舟を追ってきたが、やがて巌へ引き返すと、金切り声をあげながら、ものすごい力でユダを巌から持ち上げたのである。
26.隠者の島 さらに南へむかって三日目、聖ブレンダン一行はまたべつの小島を認めた。こんどの島は周囲が200メートルほどの円形で、峻険な断崖に取り巻かれていて舟を着ける場所がない。火打ち石のような岩がむき出しになっている。かろうじて舟を着けられそうな場所を見つけたが、カラフの舳先がやっとつけられるていどのとても狭い岩棚であった。聖ブレンダンはみずから岩棚に跳び移って、島の頂上までよじ登った。その東には洞穴がふたつ、たがいにむきあって口を開けており、うちひとつの入り口にはこんこんと清水の湧き出る小さな泉があった。この洞穴には白い髪と髭にすっぽりと覆われた、年老いた隠者が住んでいた。老人は聖ブレンダンに、かつて自分は聖パトリックの修道院の修道士であったと語り、聖パトリックが亡くなったとき、その霊が現われて小舟に乗って海へ出よと告げられたことを話した。「舟はひとりでにこの島へわしを運んだ回それから30年、カワウソが三日ごとに口にくわえて持ってくる魚を食べて生き長らえてきた。カワウソは薪も運んできてくれた。その後、このふたつの洞穴と泉を見つけ、さらに六十年生きてきた。いま140歳になる。この泉の水を舟へ持ってゆき、蓄えられよ。そなたにはこれから四十日の航海が待っておる。『羊の島』と『鳥の楽園』へもどるんじゃ。それからまた四十日の航海ののち、『聖人たちの約束の地』へたどりつき、そこに四十日とどまることになる。そののち、主がそなたを無事に故国アイルランドヘ帰還させられるじゃろう」
27.「羊の島」、ジャスコニウス、『鳥の楽園」ふたたび 聖ブレンダンと弟子たちは、老隠者の祝福を受け、南へと出帆した。」行はあてどなく海上をあちらこちらと漂流し、島の泉から汲んだ清水だけで持ちこたえていたが、聖土曜日、ようやく「羊の島」にたどりついた。舟を着けた場所ではあの「給仕」が出迎えてくれ、皆が下船するのを手伝い、晩餐をふるまった回その後、「給仕」も乗船して、舟は「鯨のジャスコニウス」の背中に漂着した。ジャスコニウスは一行の舟を背中に乗せたまま「鳥の楽園」へと泳いでいった。「給仕」はこう告げた。「水差しをいっぱいに満たしなさい。今回は自分もともに船出して、皆の水先案内人をつとめることになります。このわたしなくして、みなさんは『聖人たちの約束の地』へはたどりつけません」。
28.「聖人たちの約束の地」 聖ブレンダンと「給仕」と弟子たちは、四十日の航海の蓄えを調達するため「羊の島」へともどった。それから四十日、東へむかって航海した。「給仕」は舳先に立って一行に針路を指ししめした。四十日たったある日の夕刻、大いなる霧が一行をすっぽりと包みこみ、たがいの顔が見えなくなるほどであった。「給仕」は聖ブレンダンに、この霧はあなたが七年間探しつづけてきた島をつねに取り巻いているのですと語った。一時間後、まばゆい光が降り注ぎ、舟は汀にたどりついた。修道士らは下船した。そこは広大な陸地で、まるで秋のごとく果実をたわわに実らせた木でいっぱいだった。一行が陸地のぐるりを回ってもいまだ夜は訪れない。一行は果実を食べ湧き水を飲み、四十日探険をつづけるも、陸地は尽きることがない。しかしある日、一行は大きな河のほとりにたどりついた。聖ブレンダンは、この河は渡れないし、この土地がいったいどのくらい広いのか見当もつかないと言った。すると、若い男が現われてひとりひとりの名を呼んで抱擁し、聖ブレンダンに告げた。神がこの地へお導きになるのを遅らせたのも、ひとえに大洋の神秘をそなたたちにお見せになりたかったからである。そしてこううながすのであった。この地の果実と宝石を集めて故国へもどられよ、聖ブレンダンの最期の日が迫っているから、と。そしてこうも告げた。「キリスト教徒が迫害を受けるとき、この地はそなたの後継者たちに知られるようになるだろう。島はこの河でふたつに分かたれている」。
聖ブレンダンは「約束の地」の果実と宝石を集め、「給仕」に別れを告げて、霧の中を出帆した。やがて舟は「歓喜の島」にたどりつき、その島の修道院長のもとに三日間滞在したのち、聖ブレンダンはアイルランドの自分の修道院へと帰還した。
29.聖ブレンダンの死 修道院では皆が歓呼して聖ブレンダンを出迎えた。聖ブレンダンは航海で体験した出来事を思い出せるかぎり話して聞かせた。そして最後に、「約束の地」の若い人によると、自分の死期が近づいていると告げた。預言は正しかった。聖ブレンダンはしかるべく身仕度をし、教会の秘跡にあずかると、まもなく弟子たちに見守られながら主のみもとへ旅立ったのである。アーメン。
ラテン語版『航海』をかんたんに描いてみました (「三組の聖歌隊の島」と「葡萄の島」は含まず)
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