現代に蘇った伝説の航海
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セイルを調整する乗組員。 | 『約束の地』、カナダ・ニューファウンドランドへ。 |
ではティム・セヴェリンのこの「再現航海」はなにを残したのでしょうか?
セヴェリン自身は、聖ブレンダンのとった航路として、アイルランドから島伝いに北米大陸北東岸まで伸びる「飛び石ルート」を想定し、じっさいにそれを復元された革舟で証明して見せました。ですが、ここで疑問が生じます。ラテン語版『航海』第28章では、聖ブレンダン一行が「羊の島」からむかった方角は東であると書かれており、どこを叩いてもブレンダン一行が西の海の果てまで旅したとは書いてないことです。文字どおり解釈すれば、聖ブレンダンがめざした「聖人たちの約束の地」は北大西洋の西のかなたではなく、じつはアイルランドからそう離れていない海上に存在することになります。このことから聖ブレンダンは現実に北米大陸へ到達したのではないとする意見が大半です。かつてかの聖人が到達した島の実在を信じた14世紀イタリアのトスカネッリやピッツィガニ兄弟、リチャード・デ・ベッロ(ヘレフォード大聖堂に保管されている世界地図製作者、地図画像はこちら、大聖堂サイトはこちらです)などの地図製作者はこぞって、北大西洋上に古代ギリシャから伝わる幸福諸島と同一視してまだ見ぬ「聖ブレンダンの島」を表現しました。はじめは現在のカナリア諸島付近にあった「聖ブレンダンの島」は遠征隊がカナリア諸島以外にそれらしき島影が見つからないことから地図製作者たちもかの島の位置をだんだんに北大西洋の西側へと移動させ、ジョン・カボットの時代になるとほぼニューファウンドランド沖に描かれるようになりました。「聖ブレンダンの島」を発見すべく、幾多の船団が船出してはなんの成果も得られず失意のまま帰還し、また運悪く難破しました。かの島をめざす最後の遠征隊がカナリア諸島で組織されたのは、なんと18世紀(1721年)のことでした。
復元船ブレンダン号の軌跡(クリックするともとのサイズの画像が見られます)
セヴェリンは、ニューファウンドランドこそ「聖ブレンダンの島」だと確信しました。聖ブレンダンが北大西洋の「飛び石ルート」で北米大陸に達したという概念は、じつはカボットの時代の地図がルーツだと言われています。だとすると、セヴェリンの奇跡的航海も、無駄足だったのでしょうか? じつは北米大陸の先住民伝承には、どう考えてもヨーロッパ系の白人キリスト教徒がいたとしか思えない記録が各地で残されています。ある年代記では、難破したヴァイキングの男が漂着した場所で、白装束の男が行列をなして、白布をまいた棒を前に差し出し大声で歌う光景を目撃していますが、彼らの言語がなんとアイルランドゲール語だったとか、アイスランドの年代記でもヴァイキング入植以前からアイルランド人聖職者がすでに生活していたと書かれているのです。とはいえアイスランドからも北米大陸からもいまだにこれらの記録を裏付ける遺物・遺構は発見されていません。
ですがこの航海のほんとうの意義は、ラテン語版『航海』の物語を単なるファンタジーと決めつけず、往時とおなじ手段でその足跡をたどることがいかに大切かをあらためて教えてくれるところにあるのではないでしょうか。セヴェリンはこの航海を通じて、はじめて中世アイルランドで活躍した船乗り修道士のもつ高い航海技術を理解したのです。
ティモシー・セヴェリン Timothy Severin は1940年、インド東部のアッサムで、デンマーク系の母と英国人の父の営む茶農家の第二子として生まれました。一家はインドでの事業をたたんで英国へもどり、セヴェリンはケント州トンブリッジ校からオックスフォード、ケンブリッジ両大学に進学、探検史と地理を専攻しました。オックスフォード在学中の1963年、バイクでマルコ・ポーロの足跡をたどり、それが処女作『バイクでシルクロード』(1964, 日本語版は1968年社会思想社刊)Tracking Marco Polo として出版されました。大学卒業後、フリーランスの冒険作家となり、聖ブレンダンの航海をたどる本作 The Brendan Voyage(1978) から、シンドバッドやイアソンといった歴史上有名な旅行家・探検家の足跡を当時とかぎりなく近い手段で検証する再現航海や旅を始め、その報告を単行本として発表する活動をつづけています。すべての検証旅行は記録映画として撮影、講演者としても活発に活動しています。1993年夏には、徐福伝説をたどる竹筏による太平洋横断航海の途中、伊豆下田港に寄港、そのとき乗組員のひとりが地元の小学生を相手に航海について講演したりもしました。最近作にSeeking Robinson Crusoeがあります(現在はヴァイキングもの歴史長編小説を発表してもいます)。こうした長年の活動にたいし、英王立地理協会はじめ多くの機関から数々の賞を贈られ、また1996年にはダブリン大学トリニティカレッジから名誉文学博士号を授与されています。
とくに記念碑的なThe Brendan Voyage は世界的ベストセラーとなり、20か国語以上に翻訳され、いまだにペーパーバック版として重版されつづけています。現代に蘇った聖ブレンダンの航海物語は、いまを生きる読者の心もみごとに捉えたのです。
ティム・セヴェリン本人のサイトはこちらです。⇒ ( 参考 )セヴェリン本人による講演のもようを伝えるページ。
現在の「ブレンダン号」ティム・セヴェリンが聖ブレンダンの軌跡をたどる再現航海に使用した復元船「ブレンダン号」は、現在、アイルランド西部クレア州のシャノン河沿いにある古代史テーマパーク、「クラゴーノウエン・プロジェクト」内に建てられた専用展示室で静かな余生を送っています。 北大西洋横断からすでに30年が経過し、セイルなどに傷みが目立ってはいますが、ほぼ当時のままの姿をとどめています。舟のかたわらには「だれがアメリカ大陸を発見したのか?」と題された解説版があり、ベストセラーとなったセヴェリンの航海記録、The Brendan Voyageからの引用文も記載されています。引用箇所は1977年6月20日朝、ラブラドル沖合で鋭いナイフのように尖った氷にはさまれてあいた船体の「穴」をようやく発見したときの描写。来場者に、この復元船による北大西洋横断がいかに危険で過酷な航海だったかを伝えています。 |
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